プライバシーなんて幻想ですよ

池田先生がプライバシーなんて幻想だって言ってる事に噛みついている人が結構いる。
自分のスタンスとしては池田先生の考えに近い。
プライバシーってのは個人を守って幸せにする手段だし、とても小気味が良くそして儚いから守りたくなる。
それはとても良くわかる。
しかし、人間は個人単体で存在することなんて不可能でどうしたって社会との関わりを避けては通れない。
で、社会のインフラに対して個人のプライバシーはその最大障壁たる存在になってしまう。
どこまでも認めるわけになんか到底いかないし、膨大なコストを支払って守らなければ守れないのに、それが産み出すものと言えばホンの些細な「安心」という名の個人的な幸福でしかない。
経済活動からすれば余分なコストがそれぞれに増える分、コストアップを招いている。
大々的に個人情報収集することを認めるのはどうかとも思うし、名簿屋の存在とか気持ち悪いとも思う。
しかし、経済活動のコストが上がることで損をするのは企業ではない。
その保護される個人である。
特に官僚の政治支配が強い日本の国家システムでは何か規制をすると、その規制を監査するという名の下に外郭団体がいくつもできる。
それは何も産み出さず、監査をするだけ。
で、その監査に対して対処する為のコストは最終的に個人が支払う。
最低限守るべき規制をする以外は基本的に政治から経済へと規制はすべきじゃない好例だろう。
野放しにすると問題が起こると言うが、問題が起きた時の責任を監督省庁だったり政府へと求める馬鹿が湧くから悪いのも確かなのだが。
で、その馬鹿を煽るのは誰だろうとか考えてシステム全体への嫌悪感が出てしまう。


改善すべき問題点をひとつひとつ潰して行くか、抜本的に一回壊して立て直すかのどちらかなんだよね、結局。
前者は現在の秩序は守られるが、遅々として進行しない。
後者は秩序の回復まで混沌とする。


どうせ一旦ルールが決まれば中々変わらないのだから後者が良い。


…と言いたいのだけど最近はそうでも無い上に法の告知から法施工までのタイミングが短すぎたりとか省庁の独自裁量で行う規制がアレだったりとか禄でも無い状態なので、それもなぁとか思ってしまう。



それでも日本文化は好きだし、この国は大好きなので、何とかなってもらいたいし何とかしたい。
かといって選挙に打って出る様な根性もない吾は場末のBLOGで管を巻くと。


大分タイトルからずれてしまった。
結局いくらでも拡大解釈できるし、プライバシーとパブリックの境界を探ることができない限りプライバシーなんて幻想でしかないよとしか言えない。