発言の連続性

ネットにおいて匿名の発言を問題視するのはどうしてだろう。

それは多分、問題視している側が発言の連続性が見えないからなのだと思う。

ネット以外において匿名での発言はさほど問題視されている様な論調は目にしない。

されどネットにおけるそれは過剰なほど拒否反応が起こるように見える。

それは主に中高年と言われるある程度年齢を重ねている歴々からでているように感じる。

問題を整理する為に、まずは匿名の使われ方の整理をする。

ネットにおいて、匿名である場合には匿名掲示板における発言とBLOGやフォーラムなどHNやPNがわかる状態での発言がある。

匿名掲示板においても所謂コテハンはHNに分類しても差し支えないかもしれない。

ネット以外では、実名非公開としたペンネームや芸名などでの発言と雑誌や新聞での非署名記事が匿名にあたるだろう。

ここでの両者の違いは何なのだろう。

おそらく、発言の裏に特定人格が見えるか見えないかが問題なのだ。

中高年は人生に於けるネット接続時間が占める割合が、現在の若者に対して少ないことが殆ど。

これが原因でネットにおける匿名発言の裏に人格を見ることが困難なのだろう。

信頼度の物差しが形作られていないからネットでの匿名発言に拒否反応を見せるのだろう。

紙媒体やテレビなんかでの匿名発言が問題視されないのも雑誌や新聞社、テレビ局という「人格」が見えているから拒否反応が起こらない。

ネットにある程度慣れ親しんでいると発言の内容の連続を信頼度の物差しとして使えば良いだけだと思うから匿名に拒否反応を起こすこと自体がばかばかしく思える。

けれどこの辺りの分析ができてないと匿名か実名かみたいな議論はいつまでたっても平行線なのだろう。

ただ連続性の無い発言は信頼に値しないから2chなんかが叩かれるのは仕方ない部分があるかとも思う。

結局HN使って書いているBLOGでの発言なんかが匿名として2chとかとひとくくりに扱われてしまっているから議論がいつまでたっても収束しないんだろう。

発言の連続性が担保されているなら匿名でも問題ないではないのでは無いのかと匿名を問題視する歴々には尋ねたい。